稗搗節(宮崎県 椎葉村)


庭の山椒の木 鳴る鈴かけて ヨーホイ
鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれよ
 
鈴の鳴るときゃ なんというて出ましょ ヨーホイ
駒に水くりょと いうて出ましょ
 
おまや平家の 公達流れ ヨーホイ
おどま追討の 那須の末よ
 
那須の大八 鶴富捨てて ヨーホイ
椎葉立つときゃ 目に涙よ

 

那須大八郎 と 鶴富姫の悲恋伝説
 文治元年 平家は壇ノ浦の戦いに敗れ、その落人達は追っ手から
逃れて 現在の宮崎県東臼杵郡椎葉村にひっそりと隠れ住みました。
 しかし この隠れ里も源頼朝の知られてしまい 那須与一の弟 
那須大八郎宗久に追討命令が下り 椎葉へ向かいました。
険しい道を越え、山中で都の言葉を話す民を発見しました。(この時
椎の葉で陣屋を作ったのが 椎葉村の名前の由来だと言われています)
 しかし かつての栄華もよそに、ひっそりと暮らす平家一門の姿を見て
哀れに思い追討を断念し、鎌倉幕府には討伐を果たしたと 虚の報告を
しました。そればかりか 大八郎は鎌倉へ戻らずに椎葉の地に屋敷を
構えて留まり、平家の守り神である厳島神社を建てたり、彼らに農耕の
方法を教えたりしました。
 そこで 大八郎は平清盛の末裔である鶴富姫と出会い 恋に落ちました。
二人は密かに逢瀬を重ね 幸せに暮らしていましたが...
 しかし、源頼朝より 兵をまとめ 鎌倉へ帰還せよとの命令が届きました。
この時 鶴富姫は既に身ごもっていましたが、仇敵の平家の姫を連れていく
わけにはいきませんでした。大八郎は鶴富姫に名刀「天国丸」を与え、
「生まれた子が男なら我が故郷下野の国(現在の栃木県)へ
女ならこの椎葉の地で育てるように。」と言い残して椎葉を後にしました。
 生まれたのは女の子でした。鶴富姫は椎葉の里で娘をいつくしみ育てま
した。やがて婿を迎えて、那須下野守と愛する人の名を名乗らせたそうです。

 

稗搗節は 文字通り 稗を搗く際に歌われた労作唄です。作業はシーソーのような農機具の上に乗って 体重を移動して操作し長い棒を持ってかき混ぜながら 先の突き棒で臼を打って搗きます。祝い事などで たくさん必要なときは 大勢の人に頼み 調子を合わせ威勢よく搗き 歌い手が賑やかに 囃して景気をつけました。このような稗搗きの場は 若い男女が出会う場にもなっていたので大八郎と 鶴富姫の悲恋伝説と合わせて このような歌詞になったのではないかと言われています。

 

壇ノ浦 古戦場跡 鶴富屋敷

私と 門下生3名で 平成14年4月に訪れた際の写真です